耽美な誘惑「耳かき」の歴史が意外だらけでびっくりした話




みなさん、耳掃除お好きですか?
私はもともとパサパサの耳アカだったんですが、いつからか…パサパサ消滅しました。ネットリ系なのかというと、そうでもなくて、純粋に耳の中からアカが消滅しました。謎です。でもときどきかゆくなるので、耳かきでかいてしまいます。
人生で2度ほど、ものすっごい大きな耳アカが取れたことがあって、それはそれは爽快でした。
でも耳掃除って基本的には必要がなく、耳かきの刺激は禁断の味…
今回は「耳かき」の歴史のお話です。

平安時代の耳かきは銀でできていた

耳かきの起源とか歴史とかはよくわかっていないのですが、日本の史料に初登場するのは平安時代。平安末期の辞典「色葉字類抄」「類聚雑要抄」に「耳くじり」として登場します。くじり、というのはくりくりほじって取り出す、というような意味の言葉。確かに、耳アカはくりくりほじって取り出します…ね。形は今とほぼ同じで、持ちやすいようにゆるくS字を描いていました。
そして銀でできていました。銀は今と変わらず高価な金属なので、銀製耳くじりは上流階級の人専用のものでした。

江戸時代はかんざし型耳かきがブームだった

日本では約1000年前から存在していた耳かき。庶民の耳かきについては史料がありませんが、おそらく今とそう変わらない形のものがあったんじゃないか…と勝手に推測します。だって耳かきはお金もかけずに誰でも楽しめる手軽さと、その味を知ってしまったら病みつきになってしまう魔力を兼ね備えた刺激ですもの…!

さて、歴史の表面に登場することなく存在し続けていたと信じたい耳かきですが、約600年ぶりに史料で確認できるところに現れます。
江戸時代前期の学者、 高橋宗恒がかんざしに耳かきをつけたものを作って知人にプレゼントしました。すると「これは便利!」と大評判に。 高橋宗恒は京都の人だったので、京都中で「耳かきつきかんざし」がブームになります。
そしてこのブームは日本中に波及し、20年後には江戸でも耳かきつきかんざしが普通に売られるようになります。ただし、だんだん耳かき部分が大きくなり、耳かきつきというよりは「先端が耳かきの形をしたかんざし」に変化。ゆえに、江戸に出稼ぎにきていた人が土産に耳かきかんざしを買ったときに「江戸の女の人って、耳の穴大きいんだね?」と驚いたとかなんとか。
しかし、なぜかんざしに耳かきがついたものが、これほどのロングヒット商品になったのでしょう?
これはぜいたくを禁止する法律があったためと言われています。かんざしはぜいたく品だったので「これは飾りのついた耳かきです」と言い逃れるためだとか。

明治時代には、耳掃除屋さんが登場

時代はさらに下り、明治時代。
浅草周辺の露店には耳掃除屋さんも登場しました。庶民の人が利用するというより、上流階級の人が利用する感じのサービスだったそうです。
まあ、今でも耳かき屋さんは存在しますし…生活に必要なサービスではないから、当時と変わらずちょっとした贅沢を味わうためのものには変わりがありませんよね。
お店でスッキリを味わうのもいいけど、庶民ではなかなか難しいなあという方は、評判のいい耳かきを購入してみては?
銀…は高いので、見た目銀っぽいステンレスでできた耳かきなら、平安貴族の気分を味わえるかも。でも、耳の中は皮膚が薄く骨や神経にも近い部分です。くじりすぎには注意!